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2007年 07月 02日
1987年の雑誌『エッフェル塔』 20年前の発行です。 古書マニアの書庫に眠っていたらしい。 へぇ〜、こんなのがあったんだ、と嬉々とページを繰ってみました。 表2の見開きはこんな風・・・ ねっ、期待しちゃうでしょ、これは、エッフェル塔がいっばい載ってる雑誌なんだ、って。 しかし、このページ以外にエッフェル塔はありませんでした。。 おかしいなぁ、なんで ??と よーく見直すと、なんと写真がテーマの雑誌です。 いわゆる写真誌でもなく、副題に「写真インタビュー・ライブ」そして「写真の愉しみ」とあります。 ロングインタビュー2本。 荒木経惟。 篠山紀信。 1987年。 ーーーアラーキーの東京日記がエイプリルフールに出版された年(らしい)。 ーーー篠山紀信は、表紙の連載(週刊朝日など)だけで10本持っている、とある。「表紙なんて多い時には日に5本ぐらい撮るもの。撮れるんだよ。」などと、おっしゃってます。 1987年といえば、バブルのはじまった頃だから、超売れっ子カメラマンが お忙しかったのは当たり前かも。 もちろん、この雑誌では御二人個別のインタビューですが、この数年後、二人は絶交状態に。 荒木経惟の「センチメンタルな旅・冬の旅」出版に合わせて、同氏と篠山紀信が対談を行い、新潮社の雑誌「波」(1991年2月発行)に掲載された。この中で、妻の死に顔を写真に撮り、それを発表した行為が篠山紀信にとって許すことができず、その後しばらくのあいだ絶交状態が続いた。Wikipediaより この雑誌でもインタビュアー(編集長)が、それぞれに相手の話を出したりして水を向けているっぽい。暗示的で、ある意味、因縁めいた雑誌『エッフェル塔』であります。 上2枚目の写真、右ページはセルジュ・ルタンスの資生堂の広告です。 彼は資生堂と終身契約を結んだ、なんて噂を当時聞いたことがありますが、真実だったのかなぁ・・・いっとき、飽きられたようだけれど、今見ても、やはり、退廃的で美しい。 エッフェル塔は誌面に殆どなかったのですが、当時の雑誌広告が面白かったり、若い草森紳一氏を見つけたりして、それなりに楽しめました。 草森さんとは遠い日のコイコイ(花札)の仲。彼の「コンパクトカメラの大冒険」(朝日新聞社刊)は、ぴったり今のブログに重なって、今なら「デジカメの大冒険」なりそう。 コンパクトカメラは家族のスナップ撮影程度でプリントがアルバムに貼られておしまい、だったのが、彼はコンパクトカメラで毎日撮った写真に文章を付けて本にしてしまったーーーこれが「コンパクトカメラの大冒険」なのです。ブログみたいでしょ? 毎日コンパクトカメラをぶら下げ、手当たり次第に記録する。まさに記録=ログ。 草森さんが「現代の植草甚一」といわれる片鱗はこの頃からあったようです。 けれど、今の草森さんは、きっと、PCもケータイも持ってないでしょう・・・ね。 雑誌『エッフェル塔』はこの号が創刊号なのですが、これ一冊で後は出なかったようです。 ネーミングについては不可解ながらも、ロラン・バルトの「エッフェル塔」から名付けた、とあります。とはいえ、内容とタイトルがあまりに遊離していて、これでは、売れなかっただろうな。。ゴメンナサイ・・・写真装置舎サマ 『エッフェル塔』 No.1 1987 SUMMERーAUTUMN 写真はいま、文化の交差点。定価800円 写真装置舎
by LEFFIE
| 2007-07-02 09:00
| 書物
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Comments(8)
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daikatoti at 2007-07-02 06:22
いろいろコメントがあるのですが、まず、その骸骨の手はなんですのん?手のお勉強中の私にぴったしのアイテムじゃないですか。デッサン用品ですか?
デジカメは私にとって、やりたいとおもっていたことが実現できる器械です。 デジカメ、PC、プリンター おおいに使いこなしていきたいです。(あやしい 教えていただきたいのですが、アラーキーこと荒木経○はなんと読むのでしたっけ? ああそうだと納得しては、また忘れてしまいました。
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LEFFIE at 2007-07-03 00:21
toti さま
そうでしたね、手のレッスンをなさっているのでしたねー この「手の模型」は、ホームドクターがご高齢で引退なさった時に、予てより、約束していた通り、記念にいただいたものです。色んな部位の人体模型をお持ちの内科の先生でした。ペインクリニックでもあったので、模型があったのかな。 この模型には黒い台がついていて、その台の側面に「ボルタレン錠」と(関節炎の)薬の名前が書かれているので、製薬会社の貢ぎ物だったのかも。 ネットでも購入できそうです。http://humanbody.jp/ 割と精巧に動くので、toti さんのレッスンにはお役立ちかもしれませんね。ただ、オネダンが気に入りませんが・・・ アラーキーは「のぶよし」さんのようです。私も読めませんでした。お経・思惟と入力して、2ステップお手間な名前でした。 荒木経惟サイト→ http://www.arakinobuyoshi.com/ プロフィールの1990年が興味深かったです。 toti さんの布絵を用いたPC作品、面白かったです。可能性がまだまだ広がりそう!! ↓にいただいたコメントの「やや」は「気になるところ」にかかるのでしたか? 「やや缶マニア」にしてしまって、失礼しました。
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kohakuza at 2007-07-03 01:46
LEFFIEさん、こんばんは〜
私もtotiさんとまったく同じ所に引っかかっちゃいましたよ。 手の骨の模型入りの写真。 一瞬、澁澤龍彦氏のアトリエかと思いました。 ところで雑誌好きですが、この雑誌はまったく知りませんでした。 創刊号で終わった雑誌が、この時代よくあったそうですね。 何か80年代の勢いだけの雑誌作りが伺えて 面白そうです。
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daikatoti at 2007-07-03 06:45
やや は 缶マニア にかかっており、間違いではありませぬ。
缶マニアと 言い切れるほどの缶は持っていないのです。(嵩張りますからね アラーキーさんの名前は面倒な名前だったんですね。アラーキーでいいですね。 上記のサイト、バージョンアップしないと見えないらしいです。 篠山紀信の写真より、アラーキーのほうが好みです。えぐいのもあるけど、ときどき はっとするのもありますね。
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LEFFIE at 2007-07-04 00:10
kohakuza さま
この手の模型は、部屋の片隅にボロボロになって みすぼらしい一応モダンデザインの椅子の座面に錆びた針金と置かれていたものです。雑誌「エッフェル塔」を、このボロ椅子で撮ろうと思いつき、カメラを覗くと白い骨ホネが入ってしまっていたけれど、奇妙にあっていたので、そのまま写しました。 kohakuza さんやtoti さんのお目に留まって良かった!! そういえば、澁澤龍彦邸に骸骨がありましたね。 ご存知かもしれませんけれど、↓ここでも澁澤龍彦邸の骸骨が出てきます。 http://www.youtube.com/watch?v=wpfNS0Tk2ws 四谷シモンが案内役。何だか懐かしい感じの映像です。 よかったら、アクセスしてみてください。
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LEFFIE at 2007-07-04 00:21
toti さま
アラーキーのサイトから、無断借用してきました。 (荒木経惟サイト御関係者の皆様、万一ご覧になって、転載ダメなら、すぐに消去いたします) 言葉の強さを感じます。や缶マニアより 以下、荒木経惟サイト→http://www.arakinobuyoshi.com より 1990 妻陽子死去 「1月26日の10時頃ヒゲを剃っていると、女子医大から、容態が急変したとTEL。かけつけてみると、すでに昏睡状態。なにか言葉が欲しくて、ヨーコ、ヨーコと声をかけては口もとに耳をあてた。アナタ、と言った。その後は、呼吸音だけ。泣き声のようだった。手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。午後3時15分、奇跡がおこった。ヨーコがパッと目をあけた。輝いた。私はベッドにあがって、何枚も撮った。久しぶりのデュオだった。それからはしゃべりっぱなしだった。そんなにしゃべると疲れるからすこしねむって休んだらと言ったら、ねむるとさみしい、と言った。しゃべり続けた。少年の言葉になり、赤ちゃんになっていった。(中略)死に際に、顔をなんどもなんども横にふった。イヤ、イヤ、死ぬのイヤ。90年1月27日午前11時に、ヨーコは逝ってしまった。」
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daikatoti at 2007-07-08 21:38
なるほどねえ・・・なんだか 百万回生きた猫 という童話を連想しました。
あつい夫婦だったんですね。 何回も何回も生まれ変わってやっとめぐり合った 夫婦だったのかもしれませんね。 これ映画にもなりましたよね。 さて、ワタクシは何回生まれ変わればいいのでしょう。
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LEFFIE at 2007-07-09 02:41
toti さま
アラーキーの仕事は あまり よく知らないのですが、それでも、何か訴えるものがある作品だな、と思っていました。こういう二人の関係があったから、あんなに情念的な写真が撮れたのかもしれないですね。 はて、ワタクシも何回生まれ変わればいいのでしょう・・・
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